2012/03/31

キャリアについて語るときにアメリカ人の語ること


(http://www.prlog.org/10390363-engeye-speaks-on-improving-healthcare-in-africa.html)

「考えてみてほしいんだ。あなたは今ウガンダのさびれたクリニックにいる。そこに、こんな赤ちゃんがやってきた。これは僕が実際に体験した症例なのだけれどね・・・」

現在実習しているボストン小児病院(Children's Hospital Boston)に限らず、アメリカではMorning Reportと呼ばれるレジデント・学生向けの症例検討が毎朝のように行われます。ここではレジデントやフェローが興味深い症例を持ち寄り、最新の知見も含めて知識を共有します。学生にとっては臨床の現場で重要な事柄を整理する機会であり、レジデントにとっては教育を実践するまたとない機会となっているようです。

冒頭はそのMorning Reportでの一幕。早朝でぼんやりとした頭は、突然アフリカはウガンダへと旅立つこととなりました。

こちらに来て実感するのは、何より多様性です。Morning Reportは日本ではアメリカほど多く実践されていないようですが、仮にあったとしてウガンダの赤ちゃんの症例検討を行うことは、おそらく考えにくいでしょう。そんな症例検討が、こちらでは当たり前のように行われています。症例検討のみならず、病棟は世界中からの患者さんとスタッフであふれています。レジデントやスタッフも、日本のように高校→医学部→研修医という単線のキャリアはあり得ません。

今回の症例検討を担当してくれたのは、Brigham and Women's Hospital (BWH) の内科レジデントでした。BWHは内科のサブスペシャリティとしてGlobal Health Equityを選択することができます。これはMPHの学位と途上国での医療も実践できる内科プログラムで、例年数人が採用されているようです。このレジデントのプロフィールがとにかく驚きの連続です。

たとえばDr Wroe。学部卒業後にタンザニアに一年ほど滞在し結核とHIVの臨床研究をし、医学校進学後も半年間ルワンダに滞在しています。Dr Maruは在学中にNyaya Healthというネパールでの医療支援機関を設立。今回の症例報告をしてくれたDr Newmanは、実は医学校在学中に1年間ウガンダでマラリア・HIV対策に従事していました。学部で医学以外の分野を専攻し、医学部では休学して経験を積み、実に高校卒業後10年以上もかけて医学校を卒業しています。その間も学業は怠らず、全米トップクラスのBWHでの内科レジデントとして活躍しています。実際、今回のMorning Reportも最新の大規模臨床データを交えており、途上国のみならず院内でも役に立つレクチャーでした。

「休学のすすめ」とは尊敬してやまない黒川先生のお言葉ですが、実際にこういった方々を目の当たりにすることは、自分の考えてきたキャリアパスを見直すよい機会となります。帰国後のマッチングが最大の懸念のひとつでしたが、ボストンでの先生方の活躍を目にし、ふたたび悩むことになりそうです。

2012/03/24

ボストン到着

こんにちは、坂口です。ボストンに到着して我々新生活の準備を着々と進めております。時差ボケのせいか少々睡眠時間がおかしなことになっているのと、実習が始まったら更新が不定期になってしまうかもしれないという懸念から、とりあえず到着一発目は私が務めさせていただきます。・・・と思ったら先に書かれてましたすみません(笑)
応募する時も半分ノリで決めて(人生について真剣に考えて留学を糧にして将来のキャリアに活かすだなんてそんな難しいことはちょっと私の脳では思いつきませんでした)、行く前も馴染んだ日本の生活から2ヶ月も離れなければならず、ついでに想い人からも離れなければならず、諸手続きが面倒だったのもあって行く前は「めんどくさいもう嫌だ」という気持ちから夢の中で留学を撤回してみたりした日々を経て、時間という強制力が私をボストンに運んでしまいました。ちなみにこの文の1/3くらい冗談です、察してください。
着いてみれば、散々寒いと言われていたにも関わらず防寒着を全て破棄したくなるような天候だし、アメリカ人特有の適当さが自分の生来の性格にすごく馴染むし、日本にいるとこなさなければならない細かいDutyもないし、逆に精神状態が良くなった感じすらします。
後輩たちも行く前の準備はかなり大変だろうと容易に想像されるので、何が面倒だったのかを具体的に書いておこうと思います。喉元過ぎれば熱さも忘れるし、私の性格上忘れる速度がさらに加速する気がするので。
①セッション、面接
日本での選考が終わって、セッションが始まります。そりゃあアメリカで実習をする以上、英語でコミュニケーションを取れないのは論外ですから、当然それなりにモチベーションは上がります。さて、一つ落とし穴があるのですがそれは何でしょう?・・・それは「電話面接」です。当初の予定では、というか規定上11月の終わり~12月、つまり年内に面接が終了するはずだったのですが、なんやかんやと延びてしまい、気づけば次の年の2月になっていたではありませんか。気楽に年越しもさせてくれません。セッションに参加し続けて留学できなかったら元も子もないし、引っ張られるとそれだけでストレスが溜まります。もちろん、セッションに参加するだけで勉強になるし、それで満足できるような心のできた学生ならそれも受け容れられるのでしょうが、私の結果を求める性分ではどうにも我慢できませんでした。そのせいかセッションに参加する態度が全体的にやや適当(自分基準で)になってしまったことは否めません。他の仲間には迷惑をかけたことも多いと思います。その件に関してはこの場を借りて謝罪しておくと同時に、最後までこんな私を見捨てなかった仲間たちに感謝の気持ちを伝えたいです。ただ、後輩たちの中にはそういう性格の人も必ずいると考えられるので、正直に「辛かった」と添えておきましょう。
②ビザ
面接が遅れるとビザの申請も遅れます。発行そのものにも時間がかかるのと、取得する手続きがかなり面倒なのもあって、行くのが確定したらすぐに動くことを勧めます。ちょっと手間がESTAとは比べ物にならないです。実習の合間を縫って、というのも直前期になるとかなり無理をしなければならないため、これもストレスの要因となります。
③航空券
そりゃあ行くのが確定しなければ航空券も買えません。学校がいろいろと事務的なことを行っている間指をくわえて待つ状況が続くので、航空券の値段が上昇を始めて8合目くらいに来たところでやっと購入に踏み切れます。実際のところ、アメリカでの実習が始まる日程は前から確定しているし、新生活を始めるということでそれなりに準備日数が必要であることを考慮して、航空券を先に購入、少なくとも席を押さえるくらいのことはしておくことを勧めます。どの道買うのだし、早めに動いて損はないのでは。実習の件に関してはどうにかするしかないのでどうにかします(笑)
④通信手段
当然、通信会社が日本とアメリカで違います。携帯電話は使えません。アメリカでは日本のように~プランだと何がお得で~プランだとこれをつけなきゃいけない等、煩雑な契約形態を取っていないのですぐに買えますが、日本にいないことを知らないで携帯に連絡を寄越してきてくれた方々には何も伝えることができません。2ヶ月と長期なのでメールサーバー等からも情報が削除されてしまいます。諦めましょう。お金が履いて捨てるほどあるならメール1通100円とかでできるらしいです。
⑤食生活の変化
私はアメリカに住んでいたこともあるので特にアメリカ食に抵抗はないのですが、純和食派とかになると少々辛いかもしれません。実際にある程度日本食を持ってきている仲間もいます。
⑥荷造り
これはやるしかないです(笑)
とまぁ今思いつくのはこれくらいですが、この内容だけでも知っておいて欲しいです。あまり報告会などで公然と言える内容でもないと思うので、ブログに書くだけにしておきます。
ではでは、また出番が来たら更新するとします。おやすみなさい。
坂口玲

留学までの半年間

こんにちは。
中釜です。ブログを書く番が回ってしまいましたので何か書きたいと思います。

いよいよ本日、アメリカに行く日がやってきました。
気づけば、留学のための勉強会が9月に始まってからもう6ヶ月が経ちます。私にとっては、この6ヶ月間は、非常に貴重な体験をすることができた期間となりました。
せっかくなので今回は、「留学に応募すること」について私がこの6ヶ月間で自分なりに感じたことを少し書いてみたいと思います。

これまで勉強会等の類のものに参加したこともなく、応募書類などの作成も面倒臭いと感じてしまう僕にとって、当初はこの留学プログラムに応募することに非常に抵抗がありました。
留学してみたいという気持ちは強くありましたが、それに伴う労力を考えると少し気が引けてしまうようなところがかなりありました。具体的なものを書けば、応募動機についての作文、グループ討論による選考、応募する際に必要な様々な書類、海外保険証の申請、電話面接、visa申請及び取得・・・などなど、今思い出せるだけでもこのくらいはありました。これらに加えて、普段の平日のセッションと病院の実習をこなすのは、無謀なのではないかと感じました。

なんとか応募することを決めたのは、やはり留学してみたいという気持ちが勝ったからですが、応募を申請した後は、予想通り、毎回のセッションや書類作成などと、留学の準備に追われる毎日でした。正直かなり大変で、実習がおざなりになってしまうことや平日のセッションの準備がおろそかになってしまうこともあり、これは少し違うんじゃないかと思って、留学を考えなおすようなこともありました。ただ、そこで辞めてしまわずに、また頑張ろうと思えたのは、周りの人達の支えがあったからだと本心から思います。

諸先生方や学務の方々が、セッションの内容を充実させてくださり、応募についても多大な尽力をしてくださいました。また、私と同じ立場にありながら、弱音も吐かずに頑張っている他の派遣学生のメンバーの姿を見て、自分もまた頑張らなければいけないなと感じました。

今回の留学が実現したのは、周りの方々が多大にお力添えをしてくださったからに他なりません。恐らくこれは、他の派遣学生の人達も少なからず感じていることだと思います。

もちろん、これまでブログで派遣学生の皆が綴ってきたように、勉強会で新しい知識が得られるということはこのプログラムに応募する魅力の1つであると思います。ただ、派遣学生同士がお互いを支え合いながら、先生方の助けをお借りして、留学の実現に向けて頑張ることができることも私にとってはこのプログラムの魅力ではないかと感じています。

もし後輩の方で、当初の私のような理由でアメリカの留学に応募するかどうかを悩んでいる人がいたとしたら、是非応募することを強く勧めたいと思います。普段の実習をこなしながら、留学に応募することは、決して楽なことではありませんでしたが、そこを乗り越えることで、学ぶことができるものはかなり大きいと思います。

是非みなさん躊躇せずに応募してみて下さい。
応募を躊躇っている後輩の方にとってのきっかけになればと思って、書かせていただきました。

後で読返してみたらかなりくさいことも言ってるし、お世辞みたいなことも言っていて、ちょっと気持ち悪いなと思ったんですが、いまさら書き直すのも面倒くさいのでこのまま投稿しようと思います。

では。

中釜瞬

2012/03/18

Why Harvard?


あっという間に、出発まであと1週間を切りました。先日は派遣証書授与式があり、改めてもうすぐボストンなんだと実感しています。わくわくとどきどきが見事に混ざった、不思議な気分です。

医科歯科に入った理由が「ハーバード」という人、少なくないのではと思います。あるいは海外留学を目標に、という方も多いのかな、と。でもそれだけじゃまずいかも――そんなご挨拶を、医学部長のY先生の前でさせていただきました(めちゃくちゃ噛みながら)。後輩の皆さんに、少しでも参考になれば。

いよいよボストンへ――行ってきます。

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本日は皆様のご臨席の下、このように派遣証書授与式を催していただき、派遣学生一同心より御礼申し上げます。また只今Y医学部長より告辞のお言葉を賜りましたことに、重ねて御礼申し上げます。
 学内選抜からの半年間は、瞬く間に過ぎて行きました。その中で世界標準の医学をご指導くださったT先生、M先生、共に議論を重ねてきた派遣学生の皆さん、私たちに学びの機会を与えてくださった全ての皆様に、心から感謝申し上げます。
 新しい春を迎え、ボストンへの派遣を目前に控え、私たち一人ひとりの胸中には、さまざまな想いが交錯していることと思います。
 五年前の春、私はハーバードに行きたくて、東京医科歯科大学を受験しました。医師と外交官の間で最後まで進路に悩んだ私にとって、世界に目を向けるこの大学は最も魅力的な選択肢でした。誰よりも勉強して海外に羽ばたこう――そう思っていました。
 実際に勉強してみると、医学はそう甘くはありませんでした。何より、肉眼解剖学を「マクロ」解剖学と称することからして、私は強い違和感を覚えました。教養課程で国際学生会議に参加し、毎年世界二十の国から集まる大学院生と国際関係論や外交問題を議論してきた私にとって、マクロとは地球規模の視点であり、ミクロとは一個人の視点に他なりませんでした。そんな私に、医学は地道に遺伝子から一個体までを吟味することを求め、「ハーバード」を目標にしていた私はそれに一カ月と耐えられず、一時は大学を辞めることさえ決意しました。
 私の離れかけた心を医学に引き戻したのは、一年前の大震災でした。あの日東北出身の私は、何人かの親類と知人を濁流にさらわれました。何もせずにいることに我慢できなかった私は、震災後一か月で現地に入りました。
 そこで痛感したのは、自らの無力さでした。眼前に広がる光景を受け入れられず、急性ストレス障害の住民を目の当たりにし返す言葉がなく、同行した医師の問診票を書くことすらままなりませんでした。無力感に苛まれ肩を落としていると、その医師は私にこう語りかけました。「臨床より大きなことをしたいなら、まずは現場の声なき声を見て、聞いて、感じる術を身につけなさい。全てはそこからです。」
 もっと成長しなくてはいけない――そう強く感じた瞬間でした。人々が直面する課題を発見し、その解決に貢献できるようになりたい。そのためにも全米最高峰と名高いハーバード医学校の教育を体験し、自らの成長に繋げたい。五年間の紆余曲折を経て、ハーバード医学校派遣プログラムへの応募を改めて決意しました。ここに揃った派遣学生の友人たちは、私がかつて投げ出した地道な作業に真摯に取り組んできた者ばかりです。選抜後の半年間、私は彼らに少しでも追い付こうと必死でした。週末返上で教科書を読み、論文を漁りました。こうして優秀な同級生と熱心な先生方に囲まれ、この日を迎えられたことに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
 激しい競争の街ボストンへ旅立つにあたり、過去を美化していつまでも思いを巡らせることは許されません。ですが、私はこれからの二か月間を――少しだけ――楽観視しています。私がこの五年間で得た学びは、真の使命感と興味関心のみが時の試練に耐え得るというゆるぎない事実でした。この気付きは私に、ひとりのプロフェッショナルとしての責任感と、それを果たすための方法論を授けてくれたように思います。この姿勢を貫くことは、私たちと、私たちが生きる世界の将来を切り開くでしょう。世界のどこが舞台であれ、それは志同じくする者のネットワークとして実を結ぶでしょう。そのネットワークは、個の力を超えた大きな課題の解決に、必ずや寄与するはずです。
 最後になりましたが、改めて私たちをご支援下さった全ての方々に心から御礼申し上げます。そして、全米最高峰の医学校で過ごす二か月間を、学ぶことの喜びに溢れた有意義なものにすることを誓い、ここに学生代表の挨拶とさせていただきます。