2012/03/18

Why Harvard?


あっという間に、出発まであと1週間を切りました。先日は派遣証書授与式があり、改めてもうすぐボストンなんだと実感しています。わくわくとどきどきが見事に混ざった、不思議な気分です。

医科歯科に入った理由が「ハーバード」という人、少なくないのではと思います。あるいは海外留学を目標に、という方も多いのかな、と。でもそれだけじゃまずいかも――そんなご挨拶を、医学部長のY先生の前でさせていただきました(めちゃくちゃ噛みながら)。後輩の皆さんに、少しでも参考になれば。

いよいよボストンへ――行ってきます。

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本日は皆様のご臨席の下、このように派遣証書授与式を催していただき、派遣学生一同心より御礼申し上げます。また只今Y医学部長より告辞のお言葉を賜りましたことに、重ねて御礼申し上げます。
 学内選抜からの半年間は、瞬く間に過ぎて行きました。その中で世界標準の医学をご指導くださったT先生、M先生、共に議論を重ねてきた派遣学生の皆さん、私たちに学びの機会を与えてくださった全ての皆様に、心から感謝申し上げます。
 新しい春を迎え、ボストンへの派遣を目前に控え、私たち一人ひとりの胸中には、さまざまな想いが交錯していることと思います。
 五年前の春、私はハーバードに行きたくて、東京医科歯科大学を受験しました。医師と外交官の間で最後まで進路に悩んだ私にとって、世界に目を向けるこの大学は最も魅力的な選択肢でした。誰よりも勉強して海外に羽ばたこう――そう思っていました。
 実際に勉強してみると、医学はそう甘くはありませんでした。何より、肉眼解剖学を「マクロ」解剖学と称することからして、私は強い違和感を覚えました。教養課程で国際学生会議に参加し、毎年世界二十の国から集まる大学院生と国際関係論や外交問題を議論してきた私にとって、マクロとは地球規模の視点であり、ミクロとは一個人の視点に他なりませんでした。そんな私に、医学は地道に遺伝子から一個体までを吟味することを求め、「ハーバード」を目標にしていた私はそれに一カ月と耐えられず、一時は大学を辞めることさえ決意しました。
 私の離れかけた心を医学に引き戻したのは、一年前の大震災でした。あの日東北出身の私は、何人かの親類と知人を濁流にさらわれました。何もせずにいることに我慢できなかった私は、震災後一か月で現地に入りました。
 そこで痛感したのは、自らの無力さでした。眼前に広がる光景を受け入れられず、急性ストレス障害の住民を目の当たりにし返す言葉がなく、同行した医師の問診票を書くことすらままなりませんでした。無力感に苛まれ肩を落としていると、その医師は私にこう語りかけました。「臨床より大きなことをしたいなら、まずは現場の声なき声を見て、聞いて、感じる術を身につけなさい。全てはそこからです。」
 もっと成長しなくてはいけない――そう強く感じた瞬間でした。人々が直面する課題を発見し、その解決に貢献できるようになりたい。そのためにも全米最高峰と名高いハーバード医学校の教育を体験し、自らの成長に繋げたい。五年間の紆余曲折を経て、ハーバード医学校派遣プログラムへの応募を改めて決意しました。ここに揃った派遣学生の友人たちは、私がかつて投げ出した地道な作業に真摯に取り組んできた者ばかりです。選抜後の半年間、私は彼らに少しでも追い付こうと必死でした。週末返上で教科書を読み、論文を漁りました。こうして優秀な同級生と熱心な先生方に囲まれ、この日を迎えられたことに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
 激しい競争の街ボストンへ旅立つにあたり、過去を美化していつまでも思いを巡らせることは許されません。ですが、私はこれからの二か月間を――少しだけ――楽観視しています。私がこの五年間で得た学びは、真の使命感と興味関心のみが時の試練に耐え得るというゆるぎない事実でした。この気付きは私に、ひとりのプロフェッショナルとしての責任感と、それを果たすための方法論を授けてくれたように思います。この姿勢を貫くことは、私たちと、私たちが生きる世界の将来を切り開くでしょう。世界のどこが舞台であれ、それは志同じくする者のネットワークとして実を結ぶでしょう。そのネットワークは、個の力を超えた大きな課題の解決に、必ずや寄与するはずです。
 最後になりましたが、改めて私たちをご支援下さった全ての方々に心から御礼申し上げます。そして、全米最高峰の医学校で過ごす二か月間を、学ぶことの喜びに溢れた有意義なものにすることを誓い、ここに学生代表の挨拶とさせていただきます。

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